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2018年1月1日 心臓病とストレスの関係④”どうして健康でいられるのか?”という考え方

心臓病とストレスには関係があるとされていますが、心臓病になる人がみなストレスを自覚しているのかと言えば必ずしもそうではありません。ストレスを自覚できていなかったり、自覚していても認めたくなかったりする場合もあるでしょう。また、ストレスと感じていても「きっと乗り越えられる」と確信しているのであれば、感じるストレスの程度は違ってくるでしょう。実際、震災のときに心臓病の患者さんが増えるという報告がありますが、被災したすべての人が同時に心臓病になるわけではありません。これにも、ストレスと自覚の程度が関係していると推察できます。

前回では、このあたりのことに少し触れましたが、今回はもう少し違った視点からストレスの捉え方について考えてみたいと思います。

アメリカの健康社会学者・アントノフスキーは、「なぜ病気になるのか」という発想ではなく、「どうして健康が破綻しないで(病気にならないで)健康でいられるのか」という観点で考えました。これらは、似ているようで大きく違います。「なぜ病気になるのか」という考え方では、その原因としての特質(病因)を取り除くことを目指します。たとえば、「飲酒が病気の原因だから断酒しましょう」という発想になります。
一方、「どうして健康でいられるのか」という考え方では、「健康でいられる要因を高めましょう」という発想になります。この考え方を「健康生成論(salutogenesis)」と言います。アントノフスキーは、病気にならないでいられる支援の資源を「汎抵抗資源(generalized resistance resourses:GRRs)としました。GRRsには金銭や文化的な安定性、自我アイデンティティ、社会的なサポートなどが挙げられています。そして、この「汎抵抗資源;GRRs」を活用していく過程で体得される感覚を「首尾一貫感覚(sence of coherence:SOC)」とし、健康でいられるためにはこれらの2つが重要であるとしました。この「首尾一貫感覚;SOC」は、次の3つの要因から成り立っています。
①把握可能感(comprehensibility)
②処理可能感(manageability)
③有意味感(meaningfulness)

①の「把握可能感」とは、たとえばストレスについて言えば、ストレス(ストレッサー:ストレスを与える刺激のこと)のことをどの程度理解しているか、ということです。それが予測できるもの、説明できるものだと把握していることが大切です。

②の「処理可能感」とは、困難は降りそそぐが、社会資源や支援を活用したり、助けを求めたりして対処できるだろう、と思えるかどうかです。処理可能感が高ければ、困難なことは対処可能な経験として、「耐えられないもの」ではなく、「挑戦」の対象となります。

③の「有意味感」とは、人生を意味あるものと感じている程度のことです。人生において生じるいくつかのことについて、精力を傾けてかかわる価値があると思うか、ない方がましだと思わず歓迎すべき挑戦と感じているか、というニュアンスです。不幸な経験についても、それに意味を見出そうとしたり、打ち勝とうと最善を尽くそうとしたりすることになります。これは決して、不幸な経験を喜ぶこととイコールではありません。

次回のコラムではアントノフスキーの上述の仮説に似ているものの、少し違った切り口である「社会格差」の点から、ストレスについて考えてみたいと思います。